学習アドバイス

読書感想文がなぜ書けないのか最近になって分かった話

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

高校生や大学生に小論文の指導をしていると、いかにも「読書感想文」だなあという答案に出くわすことがあります。例えば、「これからは、○○について心がけていかなければならないと思った。」などのような文章の締めくくり方です。こういうくだりは無いよりは良いのかもしれませんが、当たり前すぎ、かつ客観性にかけているという点で、小論文としては無意味です。

原稿用紙に文字を並べるという点では共通するので、読書感想文を書くことは小学校時の教育として意味があるのでしょうが、高校や大学に入ってからの弊害の方が目につくようになってきました。

読書感想文がなぜ書けなかったのか

読書感想文については苦手意識を持っている人は多い一方で、得意だった人がその後どうだったのかは聞いたことがありません。しかし、小論文の指導をする中で読書感想文がなぜ苦手になるのか、あれのどこがおかしかったのかが分かってきました。

1、誰に対して書いている文なのか不明

読書感想文は誰のために書いていたのでしょうか。それは「自分の作文の練習だよ」という言い方もあるのでしょうが、提出しても何のフォローもないというのも一般的でした。
そして目標や対象が良く分かりません。感想を書くということに意味が感じられません。「クラスメイトが同じ本を読むように紹介する。」「担任に本の内容を報告する。」などと言われていればもっと書けたのかもしれません。

2、小学校に置いてある本は内容が無い

小学校低学年の読む本と言えば、大人ならほぼ一言でまとめられそうなものが多いです。おとぎ話や童話の読書感想文を書けと言われたら、例えば「『桃太郎』を読んで読書感想文を書け」と言われたら、大人でも相当苦しむのではないでしょうか。内容が少ないからです。
少ない内容から作者の主張や物語が伝承されてきた意義を見いだして何か書くということこそ、高度でそんなことができる人は少ないはずです。

3、担任や親は同じ本を読むのか

「あらすじ」は書くなと言われてきました。ならば、担任や親は小学生が選んできたような本を読むのでしょうか。そういう点では、小学生が物語の中に入りきって書いた感想文で、しかも知らない本の感想文を読まされる大人・・・。この作文は読まれずに放っておかれる感が強くしたものです。そして、もし担任や親が小学生が読むような読んでいたとしても話が合わなかったはずです。

4、管理のための管理

「子どもが読書をしてもらうために書かせている」という人がいますが、読書感想文を書く間にもっとたくさんの本を読むことができます。活用されない報告書なのです。報告のための報告、報告書にばかりコストをかけさせる悪い習慣を変えられない会社のようです。好きなものを自由に楽しむということに対して、管理が先に立っては逆効果で、読書嫌いを増やします。

5、思想調査ではないか

小論文や様々な論文試験では本来、意見の当否を採点することはありません。読書感想文に「自分がどう変わったのか書きましょう」というのは、押しつけがましく、内容によっては思想調査とも言われかねません。理論的に表現することは必要でも、「思ったり」「考えたり」することを評価することは問題があります。

読書感想文によると思われる弊害

そして代表的な弊害を挙げてみます。大げさかと言われますが、高校まで進学してきた生徒の中には、作文、読書感想文、税の作文、人権作文、そしてまれに反省文に慣れ過ぎている生徒が多いのが事実です。まずここから立て直さねばなりません。

1、読み手を意識しなくなる

読書感想文のように誰のために書いている文章なのかがはっきりしない文章、それも非実用的な学校の中か自分の机で完結する文章に慣れてしまいます。誰のために何を書けばいいのかに悩むようになります。

2、論理的な表現ができなくなる

独りよがりの感想というのは社会の中で役に立ちません。よほど新聞に書評を投稿する作家にでもならない限りはその能力が必要とされることはありません。内容を正しく他者に伝えるか、内容について議論をするかの方が必要です。

3、考え方が画一的になる

惰性で続いている読書感想文教育は今や、手本が出回りすぎて一人歩きしてしまっています。感想を書くことはそれほど重要ではないにも関わらず、決まった形があるかのような風潮になっています。自然と考え方も画一化されてしまいます。「読書感想文」「税の作文」「人権作文」は知らず知らずのうちに求められる考え方を書かされていることが多いです。

これからは

読書感想文が書けないと言って子どもでも保護者でも悩んでいる様子を見かけますが、心配することはありません。読書感想文レベルの文章なら、SNSのやりとりで十分です。文章を書くことが特別な教養ある人に限られている時代はすでに終わっていて誰もが日ごろから作文をせざるを得ない状況です。

はっきりとした目標、必然性をもって文章を書けば、作文のような苦手意識が育つことはありません。より実用的な文章を書くことで的確に意志を伝えることや論理の組み立て方を練習したり、学年にあった本を読むのではなく興味のあるもの好きなものを自由に読んだりすることが子どもの成長のためになるのだろうと思います。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加